ススム | モクジ

  龍神、恋い、乞う  

 さみだれの里の長・驟雨には、二人の娘がいる。
 名を、火乃と霧雨。
 頭領の第一子として生まれながら、雨の字を与えられなかった、長女の話題を口にすることは、里人の中でも一種の禁忌になりつつあった。

 さみだれの里を一望するように、高台にある頭領屋敷。
 辺りには、白くこぶりな雨降り花が、群生している。
 坂道を軽快に駆け上がっていた霧雨は、頭領屋敷を目前にして、ふと足を止めた。
 里の全てを睥睨するように、泰然と佇む、頭領の屋敷。
 山間の、決して裕福とは言えぬ、さみだれの里にはあっては、不釣合なほどの立派さであった。そこで生まれ、育った霧雨は、威圧感を感じることこそない。でも。
 時折、どうしようもない息苦しさを感じるのは、何故であろうか。
 つい先ごろ、霧雨は同じ年の里の娘たちより少々、遅れた月のものを迎えた。
 この辺りの里では、月のものを迎えた娘は一人前とみなされて、里の男に嫁ぐことを許された。
 霧雨も同じだ。もっとも彼女に待っているのは、婚礼の儀式ではなく、頭領の襲名の儀式であるが。
 頭領となれば、特別な用向きがない限り、気安く里に下りることは許されない。
 そのように考えると、見慣れた頭領屋敷が、まるで檻のように思えた。そんな霧雨の胸の内を、知る者こそ居なかったけれど。

「霧雨はまだ来ぬのか、霞」
 切れ長の瞳を向けられた、座の最も下座に腰を下ろした霞は、頭領・驟雨の問いかけに、緊張した面持ちで応えた。内心、霧雨が早く、この場に到着してくれることを、強く願いながら。
 まさか、泥だらけの衣で、頭領の御前に馳せ参じることなど出来ない。
「はい。いま少しお待ちくださいませ。御屋形さま。霧雨さまは……その、お召しかえをなさっておいでですので、いましばらく」
 着替えとな、案の定、驟雨は整った柳眉を寄せ、ため息をひとつ、落とした。
 くっきりとした目鼻立ちの女であるが、先年、夫の命を奪ったのと同じ肺の病を患い、痩せ細った今、その美しさにも、やや陰りがさしていた。
「困った娘よ。大切な客人を待たせて、一体、何をやっておるやら」
 すまぬな、と詫びた驟雨に、客人たちの長である男は、お気になさらず、とさざめくように笑った。
「なに、気にされることはありません。我らは、流れ者の旅の一座、頭領殿のように畏まられては、かえって居心地が悪うございます。なあ、皆」
 おう、と座長のそれに、応じる声が重なる。
 頭領屋敷の一角に集まっているのは、頭領である驟雨を筆頭に、さみだれの里の長老たち、末席に控えた霞。それから、面妖な格好をしたり、各々、楽器を抱えたりした、男女の一座だった。
 およそ十人前後、若い者から年老いたものまでいる。
 彼らは盲のもの、聾のもの、四肢が欠損したものの集まりで、農村では働き手にならず、それゆえにより集まった旅芸人たちだった。
 旅芸人の一座は、乞われるがままに国々を渡り歩き、求められるがままに、楽を奏で、舞を踊る。
 土地の支配者から、祭りや宴に呼ばれ、雨乞い、豊作祈念、新年の前祝といった芸事を行うことも、しばしばだ。
 何年かおきに、さみだれの里を訪れる彼らに、里人たちは距離を置きながら、どこか特別な畏敬を持って、接していた。
 霞も女の童だった頃に、父親の背に隠れて、怖々と旅の一座の巡業を見た記憶がある。
 此度の旅芸人一座の再来は、それ以来のことであり、頭領の驟雨たっての希望であると、霞は聞かされた。それも、さる重要な役目を帯びていると。
 老楽士の落くぼんだ目と目が合い、奈落の底のようなそれに、霞は慌てて目をそらした。―ああ、もうっ、どうか早くおいでください!霧雨さま。
 主への切実な祈りが通じたのか、「御免」と襖が開けられる。
 紅に白、目にもあざやかな衣を纏って、霧雨が座の中央へと入ってきた。
 艶やかな黒髪も、麗しい。
 ほう、と居並ぶ人々の口から、感嘆の息が漏れた。
「お待たせした。少々、着替えに手間取っていたもので」
 先程まで、泥まみれになっていたことなど、微塵も感じさせず、霧雨は至極、堂々とした態度でそう言うと、どっかと驟雨の隣のゴザに腰を据え、胡座をかいた。
 己の祖父ほどの長老たちが居並ぶ其処に置いて、霧雨の態度はいっそふてぶてしいと云えたが、それが不思議と気品を損なうことはない。
「遅いぞ、霧雨。此度、旅の一座を呼んだのは、お前の襲名に、楽の音による、ことほぎ(祝)が必要だからじゃ」
 厳格な母の小言を聞き流し、霧雨は旅の一座へと目を向ける。
 さみだれの里の頭領は、人である己の殻を脱ぎ捨てて、白無垢を纏い、龍神の妻となる。
 その儀式の準備のために、己が呼ばれたのだとはわかっていた。とはいえ、旅の一座との打ち合わせは、母や里の長老たちが取り仕切るゆえ、今日は顔合わせに過ぎぬ。
 なんとか無事に両者の顔合わせがすんだことで、驟雨も安堵したように、頬を緩めた。
「皆の衆、ご苦労だった。我が娘、霧雨の為に集まってくれたこと、深く感謝いたす。襲名の儀式まで数日、どうか旅の疲れを癒し、くつろいでおくれ」
 驟雨が、ぱんっと両手を打ち鳴らしたのを皮切りに、その場は宴の席へと早変わりした。
 側女たちが地酒や料理の膳を運び込み、一座の者たちは楽を奏でて、場を盛り上げる。
 傍らに霞をはべらせ、ぐびぐびと酒の杯を重ねていた霧雨の前に、一座の仲間たちに押し出されるようにして、白い布をかぶった、ひとりの楽士が進み出た。
「麗しい次期頭領さまのために、卑賎なる我が身ですが、どうか、一曲、捧げさせてくださいませ」
 その言葉には抑揚らしきものがなく、内心、気が乗らぬのがみえみえであった。
 人の心の機微に敏い、霧雨でなくても、それぐらいはわかる。
 霧雨は頷く前に、楽士はかぶりものを脱ぐと、その面を晒した。
 ざわっと、里衆たちがざわめく。
 頭巾の下より現れたのは、眩いほどの白銀の髪と、薄紅色の双眸。
 常人にあらざる色を持つ、美しい少年である。
 己に向けられる奇異の眼差しには慣れているのか、少年は淡々とした様子で、弦をつま弾くと、一曲を奏でようとした。
 少年の手にあるのは、琵琶にも似た六弦の、雨呼琴(あめよびのこと)である。遠く、龍神のおわした地よりもたらされた異国の楽器であり、彼の地ではウコキンと称されるそれである。
 しかし、爪弾かれようした弦は、降ってきた一言によって中断された。
「お前の曲などいらぬ」
 しん、と宴の席が水を打ったように、静かになる。
 さしたる理由もなく客人のそれを断るのは、非礼とさえ言えた。「霧雨」と、咎めるように、驟雨が娘の名を呼ぶ。
 しかし、霧雨は余裕の笑みを浮かべ、白い少年に語りかけた。
「そこな楽士よ、名は何という」
 少年は薄紅の瞳に、やや不快さをよぎらせ、半ばヤケ気味に応えた。
「……ツユ」
「ならばツユ、そのようなつまらぬ顔で、私に捧げるなど片腹が痛いわ。嘘を吐くなら吐くで、もっとマシなものにせい」
 麗しい次期頭領に相応しい曲をな、と余裕綽々に言う霧雨に、白い少年こと、ツユは半ば呆れ、半ば腹を立てながら、この女はとびっきりの変人に違いないと、そうそうに決めつけた。


「おーい!今日は特別に、里を案内してやるぞ。早く出てこい、ツユとやら」
 翌朝、うとうと微睡んでいたツユは、そんな声で起こされた。
 慌てて、少年が褥から跳ね起きると、襖が開け放たれて、ずかずかと遠慮もなしに、霧雨が部屋へと上がり込んでくる。
「邪魔するぞ。早く着替えろ」
 早朝から、男の部屋にずかずか上がり込んできて、我が物顔で言う霧雨に、ツユはぽかんと惚けた。
 のみならず、霧雨はツユの衣を、むんずと引っつかむと、襟元を無理やりはだけさせられそうになる。
 ツユはひっ、と息を呑むと、頬を真っ赤に染めて、二、三歩、よろめいた。
 可憐な美少年であるだけに、その様はさながら、悪代官と手篭めにされようとする町娘のようだ。
「な、何すんだ!この変態女っ!」
「うるさいっ!もとはといえば、ぬしがグズグズしているのが悪い!」
 早くせい、と理不尽に叱られ、ぴしゃり、と襖を締めた霧雨に、ツユはしぶしぶ着替えた。
 当領襲名の儀を間近に控え、さみだれの里は前祝いだという風に、どこか浮き足立っていた。
 里には市が立ち、儲けの匂いを感じ取った、目ざとい商人たちが、遠くから行商にやってきている。
 山間の鄙びた里の思わぬ賑わいぶりに、旅芸人の一座として、国中を渡り歩いてきたツユも、思わず目を見張る。露天からは、威勢の良い物売りの声が響いていた。
「ずいぶんと物珍しげな顔をする」
 くつくつと、霧雨が愉しげに笑い、ツユは頬を朱に染める。
 霧雨はある露天の前で足を止めると、銭袋を取り出し、千代紙にくるまれた金平糖をふたつ、買い求めた。
 そのひとつを大事そうに懐にしまい、もうひとつをあけ、さらさらと掌に金平糖をのせると、白い一粒をツユの口に押し込んだ。
「美味かろう?」
 口内で甘くとろけるそれに、ツユは目を白黒とさせた。


 時は、水無月。
 緑の若葉が目にあざやかで、畑ではすくすくと実り豊かな作物が育っている。
 異形の己に向けられる、里人たちの目に気がつかぬツユではなかったが、隣に霧雨がおり、ああだこうだと楽しげに騒いでいるので、それほど居心地の悪さを感じずにはすんだ。
 断じて、素直に口にしてやる気はなかったが、それが有り難くもあった。
 その時、晴天がぽつり、と冷たいものが降ってきて、ツユの頬を濡らす。
 天を仰ぐと、ぽつぽつと雨が降ってくる。
「うわっ」
 嫌そうに、顔をしかめた少年とは対照的に、霧雨は目を輝かせた。
「ツユ、雨だ!雨だぞ」
 嬉しそうに歓声を上げ、くるくると回りながら、雨に打たれる霧雨に、ツユは「何で傘を使わないんだ」と抗議の声を上げた。
 なぜ、と小首を傾げた霧雨は、心底、不思議そうに問う。
「何故、わざわざ傘をさすんだ?こんなに気持ちいいのに」
 強がりではなく、心からそう言っているらしい霧雨は、ほら、と掌をひろげて、雨の滴を受ける。
 ふるふる、と睫毛が雫を弾いた。
「雨は、龍神の流した涙、我らに厭う理由などないさ」
 まるで、雨すらも己のものだというように、霧雨は不敵に笑む。
 晴天から降る雨は一時のものに過ぎず、すぐに止んだ。
 瑞々しく、雫をのせた若葉。
 雲の隙間から、一筋の光明がさす。
 光と影。
「頭領となれば、かように気軽に里には下りれぬ。これは、私の我儘だ」
「あんた……」
 笑む霧雨の表情が、ほんのわずかな憂いを帯びているように見えたのは、気まぐれな雨が見せた幻か。
 いまだ知らぬ、胸に芽生えた感情の名が、ツユには終ぞわからなかった。
 変な女。だが、こんな女は、他の何処にもいない。

 高台の頭領屋敷に戻った霧雨は、まっすぐに離れに向かう。
 そこに、彼女の姉の、火乃が暮らしているからだ。
 生来、病弱で、医者に二十までは生きられぬ、と予見された長女は、里を駆け回る霧雨とは対照的に、騒々しさを嫌い、離れに引きこもって、滅多に表に出てくることはない。
 何処までも正反対な姉妹の溝は、幼少時から火種としてくすぶり、年を追うごとに強くなるばかりだった。
「―姉さま」
 ぴたりと閉ざされた離れの戸を前にして、日頃、誰に対しても媚びるということをしない霧雨は珍しく、返事を乞う。
 流れで、ついて来ていたツユは、それを酷く意外に思った。
「市で姉さまに、土産の菓子を買うてきた。戸を開けてくれぬか」
 無情にも、返事はなかった。
「姉さま、御願いだ」
 再度のそれに、ようやく戸が少しだけ開けられる。
 いっそ、不健康なまでに白い肌。
 どこか卑屈な色を宿した、黒い瞳。
 火乃だ。
 もう十七だというのに、童女のように小さく、痩せた女が霧雨を睨んでいた。
「火乃姉さま」
「お前の買うてきた菓子など、口にする気も起きぬ。妾の前から、さっさと去ねっ!」
 鋭い声で叫ぶと、火乃は霧雨の手から、菓子の包みを奪い取った。
 その表紙に、千代紙の包みから、色とりどりの金平糖が零れ落ちる。
 火乃は何の躊躇いもなく、金平糖を包みごと、地面に叩きつけた。
「あっ……」
 霧雨が微かに眉を寄せ、うな垂れる。
 火乃はそんな妹の顔に、唇を歪め、愉悦じみた笑みを浮かべた。
「その泥だらけの菓子を、地面を這いずって、拾うがいい!惨めな姿が、そなたには似合いぞっ!」
 ほほほっ、と高く笑うと、火乃は堅く戸を閉ざす。
 しばし立ちすくんでいた霧雨だが、「もったいない」と呟くと、膝をつき、土に転がった金平糖を拾い集め始めた。
「ひどい女だな」
 あんまりといえばあんまりな態度に、さしものツユも、憤慨した様子だった。されど、霧雨は金平糖を拾い集める手を休めず、首を横に振る。
「いいや、火乃姉さまは悪くない。無理強いした私に、咎がある」
「だけど……!」
「火乃姉さまは、生まれつきお身体が弱くてな。だから、母上は私を頭領に推した。だが、その結果、私は姉さまから、数多くのものを奪ってしまった。憎まれても、当然だ」
「そうだとしても、それは、あんたの望んだことじゃないだろ」
 なおも納得しないようなツユに、霧雨はまぶしげに、黒檀の瞳を細めた。
「ツユ、お前に家族は?」
「……いない。俺は捨て子だったのを、座長に拾われたんだ」
 こんな化物みたいな髪や目だ。
 親に捨てられたのも、しょうがないさ。ツユのそれには、自嘲がこもっていた。
 どうしてだ、と霧雨は慰める風でなく、目を瞬かせた。
 ふわり、伸ばされた手が、少年の白銀の髪を梳く。
 いとおしむように、霧雨は微笑んだ。
「こんなに綺麗なものを、私は他に知らないのに……初めて出逢った時から」
 一切の含みがない賛辞に、ツユは狼狽えた。
「あんた、覚えていたのか」
 当然だ、と霧雨は得意げに胸を逸らす。
「私は、綺麗なものが大好きなのだ」
「あ、そう」
 素っ気ないそれは、少年なりの照れ隠しだ。
 赤らんだその耳に、霧雨は囁いた。
「おぬしは綺麗だよ、ツユ。その姿も、心もな」
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